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写真が人の心を表すなんてことは,須田塾に入るまでは思ったことがなかった。
鬱がひどくなったとき,そのままではどうかなってしまいそうなときに 写真は何かを考えるきっかけを与えてくれた。 それで救われるなんて都合のいい話は全くないのだけれど,いくぶん気分がましになったり 見方を変えてくれたりした。 人によって,その役割を果たすのが,人だったり,他の何かだったりするわけなんだろうけど 自分にとっては,写真がその一つで,けっこう自分にとってグッと来た。 逆に考えすぎて深みにはまっていってしまうことも多いのだけれど,写真で何かを考えるのは暗い自分には合っている。
カメラ趣味から「写真」というものに気持ちが傾いてきたのはいつのころだろうか。
2005年のころ,中東正之さんという人の作品に出会った。 大阪の軍艦アパートや夜の景色を独特の雰囲気で撮っていた人で,その作風にすっかり魅せられてしまった。写真というものの力のようなものを初めて感じた。 ハッセル関係の掲示板で,中東さんの写真にコメントをしたのがきっかけだったような気がする。 自分も写真について勉強がしたい,通信の大学で学んでみようか迷っていると相談すると,大学に行かなくても学べるといって須田一政写真塾を教えてくれた。 同時に畠山直哉さんの名作「underground」を知る。中東さんも畠山さんもArcBodyを使っていることを知り,大阪のOSカメラにあった数少ない1台を何の迷いもなく購入していた。今までに買ったことがない値段のカメラだった。 ArcBodyを使って,中東さんや畠山さんの作風を真似ながら撮った作品を持って,東京の須田塾に参加した。 でも,人のまね以上のものはあるわけではなかったので,須田塾メンバーはやさしくほめてくれたが,須田先生は特に興味を示してくれなかった。舞台の書き割りのようだと言われた。 須田先生はもちろんだが,須田塾の人たちの作品は独特で,その世界に引き込まれるのにそう時間はかからなかった。はじめて半年くらいは,ArcBodyでいろいろ撮ってもっていたたが,他のメンバーの作品の影響で,いろいろな写真を撮るようになった。 撮る枚数も格段に増えた。常にカメラを持ち歩いて,とにかくたくさん撮った。 一番大きな変化は,自分の中での写真というもののあり方についてだった。
写真を始めたのは小学生のころだと思う。
父親がもっていた,コニカⅢとかいうカメラを触ったのがきっかけで,その後同じく父親が持っていたPENTAX SVをお下がりしてもらって使った。被写体は,地元を走っていた旧型国電。 その後,PENTAX MXを買ってもらって,大学生のころまで使った。 MXには,300mmの望遠レンズを付けて,当時興味をもっていた野鳥の撮影にのめり込んだ。 大学に入ってからは,別のことに興味が行ってしまったので,写真はしばらくご無沙汰となり,MXはいつのまにか露出計が壊れ,300mmレンズはカビが生えてしまった。 その後,10年近く写真には興味がない時代が続いた。 転機は,離婚だった。 2000年の年末に別居し,2001年の年末に正式に離婚をした。8年の結婚生活だった。 離婚と同時に,自分を客観的に見つめなければいけないことが多くなり。同時に鬱のようになってしまった。通院をしながら薬で治療をした。 そのころ,ふらっと立ち寄った名古屋のトップカメラで,キヤノンのNewF-1を見つけ,衝動買いしていた。鬱から来るストレスの果ての衝動買いみたいなものだと思う。 もともと機械は好きなので,車が大好きだったのだが,結婚時代に乗っていた車は,その当時を思い出させるような気がして,二束三文で売ってしまった。大好きな車だったのだが,乗ればいろいろと思い出してしまい,それは自分にとってヘビーだった。 要するに,車に代わるホビーを求めていただけなのかもしれない。 その後は,カメラおたく一直線である。 購入したカメラは,思い出せるだけで ハッセルブラッド 500CMを2台 500CXi SWC SWC/M ArcBody 80,60ミリレンズ ライカ M3を2台 M6 50,35ミリレンズ キヤノン NewF-1を2台 旧F-1を3台 35ミリレンズ ニコン F2Aを2台 F2ASを2台 F3P 35ミリレンズ コシナ ツアイスイコンSW ローライ35 ざっとこんなところである。忘れているものもあるような気がする。 ![]() 下手くそな写真でも,自分にとっては欠かせないものだ。 須田塾のような写真について語り合える場がほしい。
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